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四十にして惑わず

 先日話をしていて、「言葉遣いは時代によって変わっていくのは仕方ないとして、誰かがいったこと書いたこと、それも歴史的な書物とか事件とかから生まれた言葉は変えてはいけないよねえ」と。そのとおり。で、これ。

 最近すくなくとも二つのサイトで間違った引用がされていたのだけれど(たまたまなのでどこのサイトかも不明ですが)、

 『五十にして惑わず』

 と書かれている。不惑は 40 ですね。

 というわけで正しいのはこちら。

子曰、
「吾十有五而志于学、
三十而立。
四十而不惑、
五十而知天命。
六十而耳順、
七十而従心所欲不踰矩。」
読み
子曰はく、
「吾十有五にして学に志し、
三十にして立つ。
四十にして惑はず、
五十にして天命を知る。
六十にして耳順ひ、
七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず。」と。

 I think; therefore I am!より引用しました。

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