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輪廻する都市の論理

 地震の被災地の具体的で正確な情報は残念ながら知りうる立場ではないけれど、見ている限りでいえば、結局大きな都市の論理が連綿と繰り返されるだけなのだなと、哀しく思うところです。

 今朝の報道によれば、朝食用の配給食糧が 3 万食不足してしまったとのこと。また、なかなかすぐには配分できないため長岡のある小学校では、昨日の夕食用の食料の余った分を希望者に配布しているとの様子が映し出されていました。なかには食事は自宅でなんとか用意できる方や付近のスーパーなどで買うことも可能だということでした。

 いっぽうで、山間部の取り残されたような地域のかたは、避難所までこなければ配給できないと見本(というと語弊があるでしょうが)を渡されただけだったり、届いても一日でおにぎりひとつだったり。

 行政の単位が違う。つまり他所の地区だから、ということをいっている(すなわち行政の大きさが備蓄などの差に現れたから、大きいほうがよい的な発言)コメンテーターもいらっしゃいましたが、ちょっとどうかと思います。さらには自分で用意すべきだなんていうのは、対岸の火事以外のなにものでもないです。(すぐさま「そんなこといったって、あんなようすじゃ持ち出せない」といったコメントをしたもうお一方のほうが現実を理解されている)

 ひとつの行政区域だけの問題ではないのですから、新潟県全体として対処しなければならないわけですし、そうしたことからも足りないところへは、ひとまず足りているところから回すということは当然なされるべきではないのでしょうか。

 その一方で、東京のある区では早速に救援物資を運ばせていました。量はわずかかもしれませんが、職員も派遣して手伝いをするとのことで、なかなかのことです。

 結局、市町村単位で勝手に対策をしているために、被災地へとひとからげに送られる救援が都市部に厚くその他に薄くとなっていると思えてなりません。

 だから合併が必要なんだと、政府あたりはいうのでしょうか・・・

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