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螢日和 その3

 二週間後の日曜日、ぼくはもう一度辰野を訪れた。あの日彼女がいなくなってしまったことが気になっていたのだ。本当ならもっと早くに来るべきだったのだが、都合がつかずに遅くなってしまった。彼女が渡してくれたメモに電話番号も書いてあったが、なんとなくためらわれた。特に理由があったわけではないが、予感のようなものがあった。そこで突然ではあるが直接訪ねてみることにした。
 梅雨の晴れ間で、やけに蒸し暑い日だった。ぼくは手土産にと、普段買ったことのない菓子折りなどを手にして、彼女の書いた住所をたどった。
 あちこちで道を尋ねながら着いた彼女の家は、町のはずれに近い静かなところだった。家の前まで来て、ぼくは少し迷っていた。本当にここが彼女の家なんだろうか。初対面の男に対して本当の住所や電話番号を教えるとは、今もって信じられなかった。しかし、ここまで来た以上迷っていても始まらないのも事実だった。ぼくは大きく息をしてから、チャイムを鳴らした。
 玄関のドアを開けたのは母親らしい女性だった。ぼくは失礼ながらこちらに高校生くらいの娘さんがいますか、と尋ねた。
 「ええ……」
 少し戸惑ったような答だった。
 「いえ、押売りとか、何かの勧誘とかではないんです。実は螢祭りのときに娘さんに案内をしてもらったのですが、気がつくともう帰ってしまったようで、お礼もできなかったものですから……」
 「娘が、ですか」
 「ええ」
 母親は不思議そうにぼくを見ていた。やはり住所がでたらめだったのだろうか。ぼくは帰るべきかどうかしばらく思案してから、やはり名前は聞いておくべきだったと後悔した。
 それでも顔を見れば間違いかどうかは分かるはずだ。ぼくは事情を説明してから、娘さんに会わせてもらえないかと頼んでみた。
 母親はしばらく考えるようにしていたが、やがてぼくを奥まった一室へと案内してくれた。しかしそこには誰もいなかった。あるのは仏壇と額にいれた写真だけだった。
 仏壇?
 ぼくは額の写真を見ていった。古い写真が並んでいるその横にあったのは、まぎれもなく彼女の写真だった。
 「そんな……」
 ぼくの表情を見てとった母親は、彼女の死の一部始終をぼくに話してくれた。
 初めて彼女に会った日の一週間前、彼女は友達に会うために松本へ行った。残念ながら、友達の都合が悪くなって会うことはできなかった。その帰りに彼女は交通事故にあった。病院に収容され手当を受けたがついに意識が戻ることもなく二週間前の夜、息を引き取った。ちょうど彼女の案内で螢を見た日だった。では、あの日の彼女はいったい……。
 「あの子は螢がとても好きでした。だから、どうしても見たかったんでしょう」
 母親は信じられないけれど、と前置きしてそういった。
 ぼくはありきたりのお悔やみの言葉を残して彼女の家を去ると、駅への道を歩いた。ぼくが出会ったのが彼女の魂なのか何なのかは別として、彼女に会ったことだけは確かだった。そしてきっと彼女の姿はぼくにしか見えなかったのではないだろうか。あの時ぼくが彼女を見つけなかったとしたら、ほかの誰かが彼女を見つけたのだろうか。それともぼくが松本駅に降りたことからしてなにか縁があったのだろうか。あらゆるなぜ、もしもがぼくの中を巡っていた。
 けれども、あれこれ考えてみたところで何が分かるということではなかった。事実は事実であり、たとえそれがありえないことであっても、受けとめるしかないのだ。
 ふと、別れ際の母親の言葉をぼくは思い出していた。
 (螢を一緒に見てくれてありがとうございました)
 そうだ、彼女も最後にいっていた。消え入りそうな小さな声で、ありがとう、と。ぼくははっきりと覚えていた。なぜだか、その言葉がとても懐かしく感じられた。
 やがて駅に着き、ぼくは夕闇に包まれようとしているホームから列車に乗った。乗客は少なかった。ぼくは窓際の席に腰掛けると、ぼんやりと外を見ていた。
 ふと黄色い小さな明りが舞ったように思った。
 それは、次第に集まり三つ四つの乱舞になった。
 列車は静かに動き出した。

1.4.01-3[EOF]

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コメント

「蛍日和」終了ですか。なかなかしみじみと余韻の残るエンディングでした。今後もまたこういった小説作品を読ませてください。

投稿: randa-tei | 2004.08.05 00:39

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