「アンの愛情 巻末訳注付」読んだ

 松本侑子さんの新訳の新訳とでもいうべき文春文庫版の三巻目「アンの愛情」を読み終えた。ちまちまと寝る前読書だったのでずいぶんとかかってしまったが、ひとつひとつの章が短めなのもあって割とちょうどよい感じではあった。

 かつての村岡花子訳のほうではひととおり読んでいるとはいえ、すでに遠い昔となってしまい記憶もあまりなく、ほとんど初見という感じの読書。アンが大学でできた友達たちと家を借りて共同生活していたとかまったく覚えていない。

 また、生まれた家を訪ねて両親の遠い記憶と記念の品を手にするということなどもまったく覚えがなかった。

 さらにいえばギルバートと結婚するのはもっと早いうちで、というかせめてきっちりと描かれていたような気がしたが、いや、これでは最後の最後で「やっぱり結婚しよう」の段階で終わるとは。比較はしていないので違いの有無すらわからないもののここまで印象が違っていたのかと驚きだった。

 とはいえいい感じに進めているので、かつての翻訳では4巻以降はあまり面白くなかった印象はあるのだけれど、ためしに次巻は読んでみようかという気になっている。

 本当は逐一巻末の注釈に目を通しつつ読めば理解も深まるのだろうけれど、まずは物語を追ってしまうので実はほぼ目を通していない。いずれの機会に眺めてみなくてはとは思うのだけれど、果せるかな。

 しかし、かつての村岡花子訳に親しんだ人にとっても、はじめてという人にとっても現代にむけてこなれたこの訳で読めるのは幸せなことだと思うので、手に取って損はないと思う。

 

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「コッホ先生と僕らの革命」を見たらなかなかよかった

 NHK BS プレミアムで映画「コッホ先生と僕らの革命」を見た。当初はあまり気がなかったのだけれど、あらすじを見ていたら一応見るかという気になって録画もさせつつ見た。サッカーがドイツの教育界に持ち込まれた 1800 年代終わりころの物語。

 英国かぶれと揶揄されつつもあたらしい教育の実験という位置づけではじめられた英語の授業。その教師として職を得たコッホ先生。クラスの中で労働者階級の子がいじめられている状況や、「子供は厳しくしつけて育てるもの」という古いドイツの教育観と戦うべく、授業にサッカーを取り入れる。

 手始めは英単語を覚えさせるという手法の一環として。前後であったり左右であったりボールであったり。そんな単語と行動を関連付けて覚えさせる。やがて模擬的な試合のようなじゃれあいをさせていくうちに体がぶつかったとかでもめあいになったりすると「フェアプレイ」というものを教える。

 そうしていくうちに虐げられていた労働者の子が実はサッカーセンスにたけていて上手であることがわかってくる。おぼっちゃんは次第に孤立していき、しかし厳格な父親に逆らうこともできず、クラスでの秘密のサッカー授業を父にばらしてしまい、サッカーは禁止に。

 そのころにはクラスはすっかりまとまっていて、コッホを慕いもし、仲間同士の絆も生まれている。フェアプレイの精神もすっかり身についてきた。

 古い考えで子供たちをしばろうとする親たちや教師への反抗を画策してあの手この手を弄するが、なかなか壁は厚い。はたしてサッカーはドイツに根付くのかというあたり、なかなか見せてくれる物語だった。

 あるいはこのことがなければ「勝利への脱出」のような展開など生まれえなかったのかもしれないとか思うと、コッホ先生偉大。

 それにしてもあのメイドの女の子はどうしてサッカーに詳しかったのかというのが少し不思議ではあるのだけれど。まあ、物語だし。

 4K チャンネルに行ってしまうのかなあと思っていた映画だが、BS1 で継続はするらしい。

 

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Ruby World Conf 2023 の配信を見る

 すっかり忘れていたのだが、とみたさんが向かうとかいうツイートとか流れてきて、そういえばそうだったのか、と思い出して「配信あるのかな」と調べてみたら案外あるということで、では見てみようかと準備してだいたい見た。なかなかよかった。

 Matz のキーノートはまあ安定のという感じだったけれど、emorima さんの自身が Ruby やそのコミュニティに関わるようになった経緯などを振り返りつつ、現状のエモリハウスであったり Rails Girls であったりの紹介などもして、もっと女性のエンジニアが参加しやすいようにであったり、そもそもの女性エンジニアがもっと増えるとよいなということであったりの話がとてもよかった。

 Rails Girls の究極の目的は、存在が不要になることだというのは重要な目的だなと納得もしたし、感心もした。

 咳さんの ERB の話も分かりやすいし、面白いしでよかった。ご健在というのもよい。

 医療関係での事例紹介というのもなかなかよかったし、igaiga さんの RuboSensei もおもしろそうだった。とはいえ、Windows 環境だとちょっと現状は難しいのかなとあとで思ったりした(Ruby は WSL 上の Ubuntu にはいっているだけなので)。

 松本市開催の RubyKaigi の参加が無理だったので、もうこの手のに参加するということはこのままないままになるだろうなと漠然と思う。そもそもそこまで Ruby を使っているというユーザーではないというのもある。

 あ、さすがはプロのお仕事という司会の石原さんは素敵だった。

(とみたさんは、あるいは SmartHR 社枠で参加されたのかな?)

 

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「響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 前後編」を読んだ

 テレビアニメの三期を来年にひかえて原作を読むことに。久美子偉いよ、本当偉いよ久美子。

 強豪校からなぜか転校してきてしまった黒江さんの不思議な天然さに振り回される久美子にドキドキしながら読み進める。怒れ! 怒るんだ久美子! とか思いつつ、部長としてそうもできない久美子の背中を想像してけなげやなあとすっかり同期している(終わりのほうで奏にも怒っていいと言われている)。

 一方で麗奈は麗奈で加速していくし、秀一も秀一で加速していくし、ああ、ぎすぎすしてきたと頭を抱えつつ(小説だというのに)読み進めるのは苦痛なので、寝る前にちょっとずつ読むのがちょうどよかった。

 あるいは、結末はこうなのかとやや悲観的な最後を想像したりしつつ読み進める。プロローグに数年後とおぼしき姿がおぼろげに描かれているのでよけいにいろいろ妄想させる。最後にはそれらもすっきりさせるが、そうなると余計におとなになった久美子や麗奈、ほかの仲間たちの姿というのももう少し見たいなと思ってしまう。

 そのくらいいろいろな思いを揺さぶられる作品ではあったなあ。まだ、短編集が残っていたり、なかよし川あたりの作品もあるにはあるけれど。

 アニメに関していえば、その後も類似の作品がアニメ化されてもいるものの、個人的にはあまり興味をひかれない。ここまで人気になっているようにも感じられない。好みの問題なだけかもしれないけれど。

 作中登場し、アニメ化にあたって実際の曲ともなった「響け! ユーフォニアム」は、いま全国のユーフォニアム奏者によって演奏されるようになっているのだろうか、と想像したりもする。

 すでにテレビで三年生編になってしまうので、いまさら二年生編をテレビシリーズでというのは難しいだろうけれど、本当は劇場版二本という姿のままよりも再構成されたテレビシリーズでじっくり見たいという思いは強いのだがなあ。

 

響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 前編 (宝島社文庫)

 

 

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「数学ガールの秘密ノート 行列が描くもの」

 こちらもまた記録しておいて書くのが遅れてしまった。

 ということで記録だけ。

 いや、今まで行列は苦手意識があったのだけれど、少しわかってきたような気はする。

 気はする・・・。

 

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