「うつくしい繭」

二年あまり前に購入はしていたのだけれど、ようやく読んだら、意外とあっさりと短時間に読めた。文字サイズとかページ数とかもろもろみるとテキスト量としてはそう多くはなかった様子。刊行時にやたらと評判だったので気になっていたけれど、確かによい文章だったし、アイデアもなかなかに面白かった。

舞台も著者自身の経験も踏まえた東南アジア方面だったりもして、そのあたりの地の利といったものも影響して得も言われぬ雰囲気をかもしだすのに十二分に役立っていた。

SF というかちょっと不思議というファンタジー系の匂いが強いようにも思うし、現代 SF といった趣でもあって、日常のなかに SF を描き出すという感じ。

もともとなのかはたまた講座のおかげか文章はなかなかに洗練されていてするすると読み進めることができる。こういうのはなかなか難しい。摩訶不思議な奇妙奇天烈なアイデアの数々も、いかにもアジアっぽい精神性を感じる。

「里山奇譚」の中編版といった趣と思えば、さほど間違いもないか。

ただ、それだけに後味がさっぱりすぎて印象に薄いというのもある。読後にずしんと残るということはあまりない。いや、残らなくてはいけないといいうことではないので、それはそれでよい。面白かったのは事実だ。ただ、素直にいえばそれだけだったのだ。

とはいえ、不思議な物語を求めている人にとっては、まずまずのおすすめの一冊といえなくはない。

うつくしい繭

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「数学ガールの誕生」

消費税が 10% に引き上げられる前にとまとめて関連シリーズを購入していた「数学ガール」と「秘密ノート」。本編の「数学ガール」のほうはここへきて一気に読んでしまったのに記録してないのだけれど、秘密ノートのシリーズというか同判型ででている「数学ガールの誕生」を先に記録。

ふたつの場所で行われた講演の記録。はじめは大学方面で、学生が論文のテーマに使ったという縁から講演にいたったというやつで、あとのほうは専門家や出版関係の人を前にした講演の記録。とはいえ、同じような時期だったのもあってか似通った内容ではある。

いかにして生まれたのか、どのようなことを意識して書いているのかといったことを丁寧に説明していてなかなか興味深い。また、数学専門家(大学で数学を教えているとか)が参加者だったりするので、質疑がなかなか面白い。教える側からするとどうしても陥りやすい問題であったり、なぜ、数学の読み物なのにここまで支持されるのだろうかといったところが、質疑や講演を通じてより明確になる過程が面白い。

なんといっても読者は決して莫迦ではない。ということを踏まえたうえで、けれど読者はそこまで読んだことをすべて覚えているわけではないとも語り、だからこそ、何度もなんども繰り返して説明する。数学者がひとことですませてしまいそうなこともあえて紙数をさいて説明する。それを繰り返すことで理解はされないとしても、「ああ、あそこにそんなことがでていたな」という記憶には残ると。そこで、そこへ戻るのであれば、それもよし。仮にそこまでいたらなくてもそれはそれでよし。繰り返すことで、ぼんやりと記憶に残る。それだけでも十分な意味がある。

授業ということでは必ずしも十分な時間をとることは難しいかもしれない。だからこそのこうした読み物なのかもしれない。それが相互補完できれば、より数学の世界というものが広く伝わっていくことになるのかもしれない。

このシリーズの面白さの秘密を知った思いになった良書。シリーズここについては、またいずれ記録しよう。

数学ガールの誕生 理想の数学対話を求めて 

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「アニメと声優のメディア史」

新聞の書評で見たのはおそらく一月のこと。気になったのでリストに追加しておいたものをようやく購入して読んだ。

が、正直なところ期待したほどのものではなかった。青弓社ということもあってカバーそのものが帯の役割もなしているのだが、惹句にいわく「なぜ女性が少年を演じるのか」と。

もちろん、言われなくても成人男性の一般的な低い声であったり声質であったりでは、変声期前の男子の声をあてるにはやや不向きだということは誰にでもわかる。その程度ではないなにかを調べたり考察しているのであれば、それはそれで面白そうだと。

結論からいえば、おおむねそういう理由でしかない。いや、加えて言うならば、これもまた当たり前の理由ではあるのだが、いろいろの法令による制約。つまり、子どもを遅い時間帯に働かせることができなくなったという GHQ 以降の日本の法的な事情。

子供を採用した場合、特に年齢的に変声期にかかるようであると、作品の途中で声が変わってしまって都合が悪いであるとかもあった。また、演技という点においても大人顔負けの子役というのももちろんあるけれど、すべての子役がそうであるとはなかなかいえない。

そこで若い女性が少年を演じれば、声の質もさほど抵抗がなく、声変わりする心配もなく、法的にも問題ない(というと深夜だろうが、過重労働だろうが関係ないと考えてしまいそうではある)。

結論としては、そうういことでしかなかった。

その後は、以降のアニメ作品における女性声優の役割などについて考察しているのだが、どうにもしっくりこない。さらに、ダメなのは各種資料にあたっているのだが、なぜか当事者・関係者に直接あたることはあまりない。近年の女性声優に直接話を聞いたものは少しあるが、ほかはほぼない。本、もしくは実際の作品を自分が見て”感じた”ことを証拠にしているだけだ。

以降、政岡憲三が演出した『くもとちゅうりっぷ』(一九四三年)、海軍プロパガンダ作品で瀬尾光世が演出した『桃太郎 海の神兵』(一九四五年)でセルを用いたフル・アニメーションを実践し、日本でのアニメーション映画制作を牽引した。興味深いことに、声優の配役もディズニーの長篇劇映画と同じく、キャラクターと声優との年齢と性別を一致させたものだった。『くもとちゅうりっぷ』では、幼い少女の姿をしたてんとう虫を少女童謡歌手の杉山美子が演じ、『桃太郎 海の神兵』の桃太郎役は、クレジットに記載はないものの、声の調子から少年子役が演じたと推測できる。(p.92)

 

一方、東映動画では、すでに述べたとおり連続テレビシリーズであっても子役が少年主人公を演じた。したがって、収録スタジオを備えていたことが、午後八時以降の就労が不可能になり、また学業との兼ね合いをも考慮すべき子役のマネジメントを円滑におこなうには有利だったと推測できる。(p.102)

 

なぜ直接取材しなかったのだろう? 前者であれば自分で DVD なりを見てその声の感じからこうだと決めている。後者もあくまでも推論だ。なぜ、きちんと裏をとろうとしないのだろう。こうしたことが積み重なって、以降の論に共感できなくなっていく。

直接関係者がすでに亡くなっていることがあったとしても、東映動画なりであれば、会社に取材することはいくらでもできるはずではないのか。関係資料がきちんと残っていれば、それこそきちんとした裏がとれるわけで、考察にもより意味が増す。

なにより、こうした論考をする者にとって、それこそが基本的な仕事ではないのかと。そこをないがしろにして論を進められたところで、ネットでわが物顔で自説を声高に叫んでいる残念な輩と大差なくなってしまうのではなかろうか。

その後、無理矢理に女性声優が演じるということでジェンダーやら、百合やら BL やらへと話を進めているのだけれど、結局なんだか空疎なものにしか感じられなかった。参考文献の異様なくらいの多さだけが目に付くばかりで。

そもそも論として GHQ の時代にさかのぼって証拠固めをしたことはよかったけれど、そこまでなのでブログ記事でもよかったのではないかとは。

アニメと声優のメディア史

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語りすぎないことの妙 「色づく世界の明日から」

おそらく昨年の 3 月ころ。たまたま Twitter で見かけた長崎を訪ねてきたというもの。アニメ「色づく世界の明日から」という作品の舞台が長崎だったらしい。いたく評価されていてそれを見ているうちに興味をいだいたものの、残念ながら配信はほぼ Amazon プライムだけだったらしくあきらめていたのだった。ハルカトミユキによるテーマ曲「17 歳」をバックに流す MV もなかなかよい感じではあったので気になってはいた。

実のところ有料配信であれば GYAO! などでも今となっては配信していたらしいとわかったのは今年のこと。たまたま無料配信のほうにやってきたので通して見た。うん、これはいい。

2078 年、17 歳の瞳美(ひとみ)は祖母琥珀の手によって 60 年前に送られてしまう。ひとみは色を失っている魔法使い。家系が魔法使いであり、祖母の琥珀もまた魔法使いであり、偉大な魔法使いと呼ばれているくらいに有能な使い手。魔法が社会に認知されており、日常で魔法が人々に施される。そういう世界。

物語の冒頭で唐突に過去に送られてしまうこともあって、物語の展開はいずれ未来に戻るのであろうとは思えてもまったく見通せない。やがて、色を失っていること、それが魔法を嫌う自らにかけた魔法によるものであるらしいことなどが、少しずつ分かってはいくものの、あくまでも多くは語られないし語らない。

当時の監督インタビューを読むことができてわかったのは、語りすぎないことに注意したということ。なにからなにまで「説明しよう」な作品は、結局面白みもなくしてしまう。いろいろ設定はあったらしいが、あえておさえて描き切ることに注力したという作品は、わかるようでわからないというもどかしさとともに、余計なことがないだけに物語の主軸にだけ集中できるという意味もある。

その世界でひとみにとってある男子生徒の描く絵の中にだけ色を見つける。それは、実は彼女が幼いころから親しんでいた絵本の作者でもあったのだとのちにわかることになるのだが、そうして仕掛けが実は随所に仕込まれている。ひとみが色を取り戻す物語。というのが表のテーマだが、どうもそれだけにとどまらないというのが、この作品の魅力なのだろうなと。

所属することになった写真美術部の仲間たち。さらに自分と同い年の時代の祖母琥珀とその家族。そうした人々との生活のなかで、ひとみが失った数々のものを取り戻していくが、そこに多くは語られない。

最終的には琥珀の力をもって、部の仲間の力もかりて未来へ帰ることになるのだが、当時の琥珀にはまだまだそれほどだいそれた力があるわけではない。結局、過去にいったのも、未来に戻ったのも実はひとみ自身が本来持っている大きな力によっていたのだろうと最終的には考えるのが筋なのだろうなと。

きっと時間を超えてという不安定な状況と、多感な時代の心理というものを重ね合わせているのだろうな。未来に戻ったひとみに祖母の琥珀は部の仲間からの贈り物を 60 年ぶりに手渡す。絵本もそこにあり、その後墓参のシーンもあるのだが、それが誰のものかは描かれない。けれど、きっとそれは彼女が好きになった色を取り戻すきっかけをくれた彼の墓だったのだろうなと。

タイムパラドックスのことをいうと問題ばかりの作品ではある。ただ、そこはもうあきらめて許容することで物語全体の意味をもたせようという割り切りがあえて心地よい。下手に小細工するほうが作品の価値を下げてしまう。

作画も、舞台の長崎の風景も、実によく、訪ねたいと思われる人気もうなずける。

それでもあえて続編を期待したい気持ちもある、そんな佳品。

追記:

タイトルを意識したオープニング映像が、特に秀逸。

「色づく世界の明日から」篠原俊哉監督の密かな試み「『時間』と『人』の関係性にも触れられるのでは」

「色づく世界の明日から」篠原俊哉監督が更に語る。結末は「最初から決まっていて、全く揺らいでない」

色づく世界の明日から Blu-ray BOX 1

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電気ポットのパッキンを交換

湯沸かしポットの保温状態がいまひとつな感じになってきたのでメーカーの交換パーツを調べたらまだ入手可能だったので購入して交換。2013 年製なのでポット自体ももうそろそろ交換の時期かとは思うのだけれど、とりあえず問題はないのでまずは消耗品の交換から。

実際水を追加しようとふたを開けると盛大に結露しているのでパッキンが効かなくなってきているのだろうなとは思った。届いて早速に交換してみると経年劣化でだいぶ縮んでいる感じだった。ふたを閉めるときに少し抵抗感があるくらいになって、気温の状況にもよるもののいくらか冷め方が違うようだ。(というのも保温にはせずに魔法瓶モードでいつも使っているため)

特に調べなかったのであるいは互換品のようなものがあるのかもしれないが、さすがにこの手のものはないかもしれないしいわゆる消耗品商法の製品とは違ってそこまで高くはないのでメーカーで買うほうが安心。

今回は象印パーツダイレクトで注文。送料は一律 300 円というのでパッキンくらいだと高上りな感じがするかもしれない。ものによってはヨドバシでも取り寄せでの対応はしてくれるようなのだが、少し古いと扱いがないので直接しかない。

とはいえ、これでもう数年くらいはいけるだろうか。そのころにはさすがに本体の買い替えかなと思うので。

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